こんにちは。
小宮山龍一です。
今日は「知る(理解する)」の定義について、東洋と西洋の思想がどれだけ違うのかを考えてみたいと思います。
西洋と東洋の「知る(理解する)」の違い
「西洋では、解き方と答えを教えることが”教える”こと。
一方、東洋では”教えないこと”が”教える”こと」
これは「学び方のデコード」講座でお伝えしていることの1つですが、「教えないことが教えること」というのは、一見、矛盾してますよね。
しかし、これには深い意味があるのです。
その違いの根底には、前提として西洋と東洋では「知る(理解する)」の定義が違うという事実があります。
西洋では、頭で理解できれば「知った(理解した)」になりますが、東洋では、頭で理解しただけでは「知った(理解した)」とは言わず、「体得」しなければ「知った(理解した)」とは言えないのです。
そして、「体得」は個人的な経験に基づくものなので教えたくても教えられない、というわけです。
伝承の秘密
さて、ここで疑問に思う方もいると思います。
東洋哲学は2,500年たった今も、現代の私たちに受け継がれてきているわけですが、「教えられない」ものがどうやって現代にまで伝承されてきたか??と。
その理由を端的に表現するならば、ときに分裂を繰り返し、多様化しつつも、「悟った者たち」が創意工夫をこらし洗練して、そのバトンを繋いできたから、です。
まさに人が人に繋いできた、偉大な東洋哲学の体系。
そして、日本の地で最高のレベルに達した東洋哲学。
それを10月からスタートする「メタ東洋哲学マスタリー」
でお伝えしていきます。
今、講座の資料作りをしていますが、もっと早く知りたかったと思いますし、今回の人生で知れてよかったなと、しみじみ感じています。
そして何より、日本の地に生まれて、この智慧を伝承する役割の一助を担えることに感動しています。
ご縁があれば、ともに学んで参りましょう。
「メタ東洋哲学マスタリー」の詳細は「学び方のデコード」講座でご案内しております。
この講座も残すところ、あと2回となりました。
ぜひこの機会をお見逃しなく。