【意外な接点】教育界への違和感と今の活動

こんにちは、小宮山龍一です。

今日、共有する話は、私の20年の教育の現場での経験から得た気づきと、今目指しているビジョンについてです。

多くの人が日常的に感じているかもしれない疑問や違和感、そして日本という国の魅力や誇りについての探求。

一緒に、これまでの私の旅路を振り返りながら、新しい視点で日本の教育や文化を考えるきっかけを作ってみませんか?

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塾講師として歩んだ道のり

これまでの私の人生の中で最も長い期間、同一の職を務めたのは「塾講師」です。

18歳から37歳までの約20年間、私は地元の学習塾で、小学生から中学年たちに、受験指導、学習補助をしてきました。

20年という長い間、同じ場所で働くというのは、今考えるとすごいいことだったなと。

ちなみに、なぜそれほど長く勤務できたかというと、その大きな要因の1つは、私の上司である塾長Kさんの存在でした。

Kさんの人柄、その深い知識、そして講師たちを心から大切にしてくれる姿勢は、私にとって非常に魅力的でした。

また、Kさんの教育に対する真摯な姿勢や、経済的、精神的に私たち講師をサポートする環境の下で、私は教える喜びや子供たちの成長を実感することができていたのです。

公教育への違和感と疑問、そして独立

しかし、塾講師として教育に携わる中で、私は教育界に対して「ある違和感」を感じるようになりました。

それは、現在の教育が子どもたちの「自信」や「日本人としての誇り」を十分に育て上げるものになっていないという疑念でした。

受験指導を教える立場にはありましたが、「受験さえうまくいけばいい」ということではなく、子どもたちが自分の国の文化や歴史に誇りを持って生きていくことが、真の教育の目的であると信じていましたし、それは今でも変わっていません。

しかし、中学校で教えられている歴史は、どうも日本人の自信を無くさせるものが多い。もっと伝え方があるのでないかと思っていたのです。

そのような違和感を4〜5年抱えていましたが、いろいろな出会いがあり、2012年、私は独立の道を選びました。

当時は、しっかりと考えているつもりでしたが、今振り返ると、何をしていいのかよくわかっておらず、「とりあえず自分の人間力を高めよう」「人間力をつけながら稼げる自分になろう」という浅い考えだったと思います。

あまり深く考えず、情報収集も準備もあまりしなかったので、その後、痛い目を見ましたが。

過去の思いと今の活動の符合

独立後の私の人生は多くの紆余曲折を経て、現在に至ります。振り返れば、塾講師時代に抱いていた願望や思いが、今の私の活動や講座に繋がっていることに気づかされるのです。

ただ、今、振り返ると、「歴史教育」というのも視野が狭かったなと思います。また、「歴史教育」というとウヨクとかサヨクとかそういう世界に巻き込まれやすくなります。

しかし、そういうものではなく、もっと本質的なもの、普遍的なもの、西洋東洋問わず、人類が追い求めてきた悟りというか、絶対的真理とはどういうものなのか?そもそもなぜ人間は悟りや絶対的真理を追い求めてしまうのか?

そんなことを学んでいく中で、「やっぱり日本ってすごいな!」ということに改めて気付かされました。

現在、東京美学倶楽部東京第三支部での活動や、「学び方のデコード」、「メタ東洋哲学マスタリー」といったプロジェクトを通して、日本の知識や文化が世界の中でどのような位置にあるのかを伝えることを目指しています。

この活動を通して、日本人として生まれたことの価値やありがたさを再確認し、多くの人たちにもその感覚を共有していけるのではないかと思っています。

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